短歌 小林 正貴 大場内科クリニック 雪降れば津軽鉄道に乗るつもり五百円増しストーブ列車大好きな太宰治の生家のある青森県五所川原市金木に津軽鉄道に乗って春に行ったことがあります。冬限定で運行されるストーブ列車を知り、一面の雪景色を見ながら、酒飲んで、炙りスルメを食べてみるのもいいなと思って作った歌です。
先生は寒い診察室の中聴診器の先手で温めた
私が学生の頃、どこかの病院か診療所に臨床実習に行った際に、指導してくれた先生が、患者さんを聴診する前に冷たい聴診器を手で温めていたのを見て、その細やかな配慮に心打たれました。
手術室と音楽を詠む 齋藤 祐司 いばらき診療所とうかい 昭和の時代には、手術室で音楽を流すようなことは不謹慎とされた。しかしその後、手術室での音楽が患者の予後を改善させるという論文も多数見られるようになり、現在では当然のように音楽が流れるようになった。帝王切開で児が娩出された瞬間にドビュッシーの亜麻色の髪の乙女が流れたり、シューマンの子供の情景が流れたりする感動もある。このような見地から、手術室と音楽というテーマで詠んだ短歌を数首紹介したい。
万物の命 小泉 雅典 水府病院 「新年」神々しい筑波山の初日。グリソンは肝臓の脈管や胆管、神経の束の解剖用語。手術を考え散歩中、冬の梅木がそう見えた。「春」医師や看護師が尊厳に丁寧にお見送りするさま。伊豆沼では、或日何十万羽の雁が一斉に帰る。
「夏」簡潔明瞭、恩師の便り。四季や時間のない手術室、病院に雷が落ちた。
「秋」人の営みに関係なく自然は不変。深夜通用口、蟋蟀鳴いて秋深し。
「冬」珈琲で休憩、夜空には銀河milkyway。クリスマス、看護学生の聖歌隊。涙する患者さん。
俳句 小林 正貴 大場内科クリニック 父母は桜守我桜人50年前に父が植え、母が育てた実家の庭の枝垂桜が大きく成長しました。満開になった時期に実家を訪れ、今は亡き父母を思いながら、大きく育った枝垂桜を眺めている時に出来た句です。
信濃路の雪間の歯痛地蔵かな
軽井沢追分宿にある泉洞寺の裏の墓地に「歯痛地蔵」があります。初春に訪れときに、雪が溶けて、まわりの地肌があらわになっている歯痛地蔵を詠みました。歯痛地蔵は世界の平和を祈っているようでした。
野点 遊座 文郎 遊座医院 まだ梅は一、二分咲きの2月下旬の偕楽園。寒風の中でしたが、野点がなごやかに礼儀正しく行われていました。(画・清水喜輝氏)
初滑り 遊座 文郎 遊座医院 若い頃に滑ったスケートを思い出して、横浜の赤レンガ倉庫近くの特設スケートリンクで、孫達と滑ってみたが、思うようには滑れず、足がもたつきスッテンコロリン。(画・清水喜輝氏)
サンマ船団 遊座 文郎 遊座医院 サンマ漁が盛んだった昭和三十年代の那珂湊港。小学生だった私は、軍艦マーチの流れる港を出ていくサンマ船団を、友達と日の丸の小旗を振って見送りました。(画・清水喜輝氏)
ネモフィラ 遊座 文郎 遊座医院 ゴールデンウィーク後半の国営ひたち海浜公園。だいぶ背が伸びたネモフィラ達は、風に吹かれてヒラヒラと背のびするように揺れていました。(画・清水喜輝氏)

