
母の母、私の祖母も花好きで、山野草など色々な花を育てており、それらを愛で歌に詠んでいました。
祖母は小学校の先生でしたが、本当の夢は医師だったそうです。
私が医師になった時、喜んでくれた祖母の顔が忘れられません。
母と亡き祖母と3人でお花の話をしたかったな、とそんな想いになる絵です。

その溶け具合いが面白いと思い描いてみた。

変哲もない瓦でも絵になるんだと衝撃を受けた事がある。
自宅の二階から隣の屋根瓦を見ていると季節により表情が変わる事が面白いと思った。
あの時を思い出して描いてみようと考えた。これは二科本展に入選したものである。

特に、犬が大好きで、家でもキャバリアキングチャールズスパニエルの富士ちゃんを飼っています。
野性のオオカミもかっこいいと思うのですが、なかなか家では飼えないので、
代わりに好きな気持ちを絵にしました。
アクリル画なのですが、色を作ったり、重ねたりするところを工夫しました。
この絵の前に、2枚の下描きをしているのですが、今回の絵が1番気持ちを込めて描けました。

高さは竜神川から100mにあり、中ほどからバンジージャンプを楽しめる。
竜神川は上から見ると確かに竜のようにうねっているし、頭らしき部分もある。
時は5月こいのぼりの季節。吊橋に沿って長さ10mくらい、200匹くらいのコイが泳いでいる。
この地には雄雌2頭の竜が住んでいたとする伝説が伝わっている。

事前に自らの墓を作り死を覚悟の船出であった。
一体何を夢見ていたのだろうか。

谷を挟んだ対岸の神社から落水の全貌を観ることができた。

その後真冬の寒風が吹き荒れる夜でも散歩につきあってくれた。
喪14年一緒に暮らしたが昨年老衰で天国に旅立った。
見上げれば 星の流れて 盆近し

広い園内では自然環境の保全と緑の育成、人と自然とのふれあいを目的に地域の里山を開放しています。
園の南にさくらの森があります。4月に入ってから開花するたくさんの八重桜が紅赤色のトンネルとなり、
隣りの枝垂れ桜と一緒にお花見が楽しめます。
初春、名前の知らない桜の木の下で描いた作品です。

定刻になるとオルゴールの優しい童謡の調べが園内に流れます。
朝の登校をする子供達といいハーモニーになります。

北西には筑波山の山並みが、西南には広々とした霞ヶ浦が眺望できます。
「霞ケ浦大橋」は、県南と鹿行を結ぶ大切なバイパスとして、昭和62年に開通しました。

50年前、大子の母の実家の病院よりみやげ店まで往診で何度か訪れたことがある。
当時は川沿いにしか近づけなかった。

開業医として40年働いた。多い日は200人以上診て、時間外診療も往診もした。
もう十分働いた。白い景色には、次のステップで得られる自由があるように感じた。

第100回二科展に入選しました。

ある日のこと、キジの剥製を皆で描きました。
私は秋の夕暮れ、オレンジ色の空、刈り取りが終わった田んぼの上を飛んでいる姿を思い浮かべ描きました。

アジサイの花の色は土の酸性度で決まるそうです。
酸性だと紫色、アルカリ性だと赤い色とのこと。
赤いアジサイもきれいです。

笠間稲荷のご神体は宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)でキツネではありません。
このことは境内の掲示板に書いてあります。キツネはご神体を護る眷属(けんぞく)です。

肩上げ、裾上げがあるのが特徴で、背が伸び芸子になると、上げをおろし、だらりの帯もなくなるようです。
着物を薄くし、体の線が見えるようにしたつもりです。

年齢はアラフォーというんだそうです。顔を大きく描いてみました。


チャーチル会を9月後半に設定した為に、銀杏が少なくなってしまい、繁茂した木を探すのが大変でした。



中学生となり、何とか無事の成長をと願っています。


青空と花、何回訪ねても感動します。

光圀はここで歴史書「大日本史」の編纂に尽力したとのこと。
